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2008-04-02 00:00
中国は対チベット政策を毛沢東の「17カ条協定」に戻せ
岡田充
ジャーナリスト
チベット暴動の処理をめぐり、胡錦濤指導部は天安門事件以来最も難しい政策上のジレンマに陥っている。中国共産党が独裁を維持する最大の理由の一つは、「統一性の維持」だ。清朝時代に英国、日本、ロシアなど列強に奪われた版図を回復し、強力な統一国家を再興することが、建国理念にあるからだ。胡指導部は2005年3月、台湾独立の動きに対し「非平和的手段」の発動を容認する「反国家分裂法」を制定した。台湾独立に向けられた法律だが、チベット、新疆、モンゴルなどの非漢民族による「独立志向」への原則的決意の表れでもある。武力発動をいとわない姿勢を示すことで、分裂活動へのけん制の意味もあった。
共産党からみると、統一が危機に直面すれば、武力による事態収拾は当然の論理的帰結である。ただこの論理は、中国国内では通用しても、グローバル化し相互依存関係を深める世界を納得させるのは難しい。北京五輪の主催は、グローバル化の「正」の果実にほかならない。五輪の理念は「民族の差別なく、友情、連帯を通して平和でより良い世界を作る」ことにある。武力行使は、五輪の理念と衝突する。中国にとって現在のプライオリティはどこにあるのだろうか。統一の維持か、それとも五輪なのか。「二者択一」以外に第3の道はないのか。答えは、「高度な自治」を求めるダライ・ラマとの対話しかない。
中国側の対応で最も不可解なのは、ダライ・ラマの「中道路線」を「チベット青年会議」などの独立派と同一視している点であろう。ダライ・ラマは1989年に「独立路線」を放棄し、「高度な自治」を求める「中道路線」に転換した。とう小平や胡耀邦が過去のチベット政策を自己批判し、チベット文化の尊重や宗教の自由回復を主張したことを受けて、妥協したのである。しかし、この妥協は、独立を主張する「チベット青年会議」との亀裂を生み、独立派は「中道路線」への不満を募らせた。共産党は伝統的に統一戦線工作に長けていた。「敵」の分断こそ、統一戦線の要諦である。「高度な自治」と「独立」の主張を分けず、ダライ・ラマを「敵視」したことで、対話の道を閉ざし、ジレンマに陥ってしまった。
香港報道などによると、北京がダライ・ラマとの対話を拒む理由は、(1)ダライ・ラマ側が青海、甘粛、四川、雲南などのチベット人自治地域と合わせ240万平方キロの「大チベット地域」創設を主張していること、(2)北京側が2004年発表の「チベット政策白書」で「チベットには主権行使を回復する理由はなく、別の社会制度をとる理由もない」と、ダライ・ラマ側の「一国二制度」を批判していること、の2点であるといわれる。「一国二制度」の下で「大チベット地域」を承認すれば、他の民族自治区に要求が波及しかねないとの懸念であろう。もしこれが対話の障害であるのなら、対話は不可能ではない。ダライ・ラマ側が「一国二制度」の主張を下ろす代わりに、中国側は毛沢東時代の1951年にチベット側と締結した「17カ条協定」に戻ればよいのである。同協定は、北京が主権、軍事、外交を持つ一方、チベットに自治権を認め、政治、宗教制度の不変や、中央の非干渉など「高度な自治」を約束している。共産党のイデオロギーに忠実な胡錦濤主席だから、「毛沢東回帰」を頭から否定はしまい。中国側は、ダライ・ラマの死後に後継する「生き仏」を自ら選び、その下でチベット問題の解決を目指す方針と言われる。だが、ダライ・ラマ死後にチベット問題を解決出来る保証はない。逆に独立運動がいっそう暴力化し、チベットが「中国のチェチェン」化する危険性をはらんでいる。
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