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2008-09-30 00:00
国際政治における善悪の考え方
西村 洋治
団体役員
昨日付け本欄への広瀬陽子氏の投稿「善悪二元論では国際政治は語れない」を読んで、正直言って「根本的な時代錯誤があるのではないか」と驚いた。地域研究者には往々にしてミクロの部分像に目を取られて、マクロの全体像を見失うひとがいるが、その一例だと言っては失礼だろうか。「どちらかが100%悪いということはまずあり得ない」というところまでは理解できるとしても、「どちらかを悪者にすることによって、何のメリットがあるのだろうか」にいたっては、これが大学で国際政治を教えているひとの言う言葉だろうか、と呆れた。
国際社会が1928年の不戦条約以降、それまでの「戦争に善悪は関係ない」という無差別戦争観から「戦争は犯罪である」という戦争違法化へ舵を切ったことは、なにも国際政治の専門家でなくても、もはや周知の常識である。「紛争で善悪二元論を用いることは、グルジア紛争に限らず、あらゆるケースで和平合意を阻害する」との広瀬氏の主張は、実質的に強者の弱者に対する時代錯誤の帝国主義的、あるいは植民地主義的な動きを弁護、支持することにならないか。
とくにロシアは、帝政時代、ソ連時代をつうじてその国境を接した隣国に対する横暴な武力行使で悪名の高い実績のある国である。フィンランド、バルト3国、ポーランド、ルーマニア、モンゴル、日本に対してソ連が何をしたかを指摘するだけでも、それ以上の説明は不要であろう。「ロシアを悪者にしたところで、国際平和にプラスになるものは何もない」と仰られるが、泥棒を「泥棒だ!」と名指ししないで、どのようにして社会はその治安を維持できるのだろうか。国際社会が双方の主張を平等に判断し、白黒の決着をつけないで、どうして小国はロシアのような凶暴な大国の隣で安住できるのか、と問いたい。
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