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2017-12-06 11:06

(連載2)フランシスコ法王のミャンマー訪問がロヒンギャ問題にもつ意味

六辻 彰二  横浜市立大学講師
 第一に、国家との関係です。先述のように、「政教分離」の原則はヨーロッパで生まれました。ローマ・カトリック教会の場合、その「分離」は、かつては「何も触れない」ことを前提としていましたが、第二バチカン公会議からは「離れていても関わりまでは絶たない」にシフトしました。このように独立した立場で発言・活動することをよしとする市民文化の定着した欧米諸国では、国家から独立した宗教指導者の行動の自由をも生まれてきたといえます。これに対して、欧米圏以外の多くの国では、宗教指導者の多くも国家の管理下に置かれがちです。それは各国政府の意向と無関係の言動をすることへのブレーキになりやすいといえます。同じくキリスト教でも、ロシア正教会の場合、ロシア帝国の時代から国家のもとに置かれてきました。イスラームはその長い歴史を通じて、総じて国家からの干渉が排されてきましたが、20世紀以降は政府の決定をイスラームの論理で正当化する役割が高位の宗教指導者に求められることが増えました。「精神の解放」を目指し、社会から距離を置きがちな仏教は、その教義からして政治や社会に働きかけるエネルギーが弱く、結果的に国家・政府の方針に公然と異議申し立てすること自体が稀になりがちです。そのため、とりわけ海外の政治問題に関して、独自の発言・活動を行う宗教指導者は、世界全体でむしろ少数派です。例えば、ロヒンギャ問題に関して発言している宗教指導者は、確認される範囲で、ローマ法王を除けば、チベットのダライ・ラマや、トランプ政権にロヒンギャ難民保護を求めたり、イスラエルにミャンマー政府への武器売却を停止するよう求めた米国の一部のユダヤ教ラビなどごく少数に限られ、日本の全日本仏教会などもこの問題に関する統一見解などは示していません。

 第二に、ローマ・カトリック教会ほど宗教指導者の見解が末端の信者まで行きわたりやすい宗派も珍しいことです。中世以来、ローマ・カトリック教会は聖職者の位階制が極めて明確で、最高責任者であるローマ法王は教義の裁定者でもあります。そのため、バチカンと異なる教説を説く聖職者は職を剥奪されることさえあります。言い換えると、ローマ法王のもとで考え方が一元化されやすく、バチカンの動向や方針は世界各地のカトリック教会を規定することになりやすいといえます。英国の歴史学者E.H.カーによると、「…カトリック教会は史上で初めて検閲制と宣伝組織とを作り出した。中世の教会が最初の全体主義国家であったことは、近時の一史家の所見において重視されている点である」。この「上意下達」はその他の宗教・宗派と比べても際立つローマ・カトリック教会の大きな特徴です。

 これに対して、特に欧米の保守派から「自由と縁遠い」とみなされることさえあるイスラームの場合、ウラマーと呼ばれる宗教指導者たちの説法は、基本的に自由です。そのため、イスラーム圏でも政府と関係の深い高位のウラマーほど欧米諸国との協力を否定しない説法をする一方、一般の人々の感情と近い若手ウラマーほど欧米に批判的な、過激な説法を行う傾向があります。その結果、例えばサウジアラビアでは政府と結びついた高位ウラマーにのみ政府の決定に対する見解を示すことを認めていますが、これは政府への不満をさらに増幅させる悪循環にも陥っています。ともあれ、他の宗教・宗派も、統一した見解や方針が生まれにくいという点では、多かれ少なかれ同じです。ミャンマーでも、ロヒンギャ排斥を正当化する一部の過激派仏教僧に対して、同国の高位仏僧の会議体サンガ・マハ・ナヤカは説法禁止などの措置を取りながらも、実質的には彼らを止められていません。このように多くの宗教・宗派では、全体の見解や方針を一元的に代表する指導者は稀で、それは結果的に、特に海外の出来事に対して、宗教・宗派を代表した働きかけが難しくなりやすいといえます。この観点からみれば、教義の裁定者として絶対的な影響力をもつ点でローマ法王と共通するダライ・ラマが、やはり世界のさまざまな問題に発言してきたことは、不思議でないといえます。

 こうしてみたとき、ロヒンギャ問題に代表される、世界各地で発生する問題の解決に関与することは、多くの宗教指導者にとって困難といえるでしょう。宗教指導者の限界は、そのまま国際関係や国家‐宗教関係の複雑さ、あるいはそれぞれの宗教が抱える課題を浮き彫りにしているといえます。一方、ローマ法王とて全能ではありません。冒頭で触れたように、今回の訪問でフランシスコ法王が中立性を前提に関与したことは、結果的にミャンマー政府の立場をも認めるもので、それはロヒンギャ問題の解決に結びつかないという見方は可能です。ただし、一度の訪問で成果があげられなかったことをもってフランシスコ法王を批判することも酷といえるでしょう。仲介や調停を行う者には、中立性とともに関係性も期待されます。つまり、各当事者と関係をもたない者は、いかに中立の立場であっても、それぞれの立場に対して影響力を発揮することもできません。その意味で、フランシスコ法王が中立に近い立場を保ちながらも関与の意思を示したことは、周囲の環境がミャンマー政府にロヒンギャとの協議へと向かわせる状況になった際、その橋渡しを可能にする余地を残したといえます。そして、フランシスコ法王の種まきが奏功するか否かは、ミャンマー政府への各国の働きかけによって左右されるといえるでしょう。(おわり)
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