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2020-06-15 21:12

「最後の編集者」粕谷一希試論再論

松本 修 国際問題評論家(元防衛省情報本部分析官)
1 はじめに
 粕谷一希先生には『対比列伝 戦後人物像を再構築する』(新潮社 1982年)という名著がある。まえがきにあるように「人間の世界の個性と多様性、その人物の役割と意味は、対比を通してより明確に浮かび上がってくるのではないか」という粕谷先生の思いから、例えば「小林秀雄と丸山真男」、「東畑精一と今西錦司」、「近衛文麿と吉田茂」等を論じたものである。ここで内容の細部にはふれないが、粕谷先生は人物論を愛した方であり、『戦後思潮 知識人たちの肖像』(日本経済新聞社1981年 藤原書店2008年)という浩瀚の書も著している。先生の問題意識は一体、何だったのだろうか。

2 粕谷邸での出来事等
 1984(昭和59)年、私は陸上自衛隊幹部候補生学校に入校するため、九州の福岡県久留米市に旅立った。その直前、八王子市の大学セミナーハウスで開かれた「明治日本と戦後日本」というシンポジウムに参加したのだが、パネリストとして粕谷先生も参加された。会議の合間に「松本君、君は東海道より向こう、西海道に行くんだな」と先生は声をかけてくれたのだが、言外に「何故、わざわざ都落ちするんだ」という疑義の念も私は感じ取っていた。そして、3年間の九州勤務を終えた私は、1987(昭和62)年に帰京する。早速、粕谷先生の自宅へ挨拶に赴くと「三島(由紀夫)みたいに制服を着てくるかと思ったよ」とおどけた先生は「公務員もいいが、ある程度勉強して経験を積んだら辞めてもいいだろ」と言ってくれた。ちょうど都市出版を設立された頃であり、雑誌の「東京人」や「外交フォーラム」(当時)の編集を手掛けていたのを覚えている。やがて私は、粕谷邸における正月行事に参加するようになる。粕谷先生と親交のある知識人、仕事仲間の編集者・出版関係者等が集って飲み食い放談する、さながら水滸伝の「梁山泊」のような宴席であった。そんなある正月の宴席で、粕谷先生が「朝鮮半島問題では米国、韓国に関する論稿がほとんどだが、北朝鮮に関して数少ない日本の研究者がいたが」と参加者に話題を振ったのだが、参加者の誰も首をかしげて答えない。沈黙が広がる中、酩酊して末席を汚していた私が「玉城素(たまき もとい)さんでしょうか」と言うと粕谷先生はニンマリ笑って「そうだ、玉城さんだ。こういう人間をもっと論壇に引っ張り出さないといかんな」と言われた、懐かしい思い出である。このように、粕谷先生の目配りは大変に広かった。

3 忘れられた論稿の存在
 粕谷先生は多くの著書を残しているが、新聞や雑誌の連載から誕生したものが多い。例えば、先述した『対比列伝』は雑誌「諸君!」(当時)、『戦後思潮』は「日本経済新聞」(ペンネームは今鏡)の連載をそれぞれまとめたものである。しかし、忘れられた書籍や論稿もある。雑誌「サンデー毎日」に連載された「サンデー時評」をまとめた『東京あんとろぽろじいー人間・時間・風景』(筑摩書房 1985年)や、時事通信社の国際情報誌「世界週報」(当時)に掲載されたコラム「漂流 日本社会」である。前者の書名にある「あんとろぽろじい」とは「anthropology」(人間学)のことであり、粕谷先生が大学時代に社会科学よりも「人間学」を貴び、アントロポロジスト同人を結成しようとしたが、自分を含め2人しかメンバーが集まらなかったというエピソードによるものであろう。また、後者は都市論、経済論、教育論など多様な分野を扱った一種の社会評論であり、最近資料整理の中で発見したコラム「顔色にすぐ出る人間味」(2000.9.26)は何と長嶋茂雄監督(当時)をテーマにした巨人軍論、プロ野球論であった。先生の存命中、私はプロ野球を話題にしたことはなかった。同コラムを読んで互いに巨人ファンと判っていたなら、もう少し楽しい話ができたかもしれないが真に残念な事であった。さらに、北海道の某都市の文化広報誌に連載されていたコラム「ブラキストン線」の存在も思い出すが記憶定かでなく、詳細は不明である。

4 おわりに
 6月15日は、かつて「六〇年安保闘争」における大規模な国会請願デモが行われ、その騒乱の中で樺美智子さん(東大女子学生)が亡くなって60年がたった日であった。しかし、朝からマスコミ等世論の反応は鈍かった。唯一、この事実をラジオで語ったのは「おときさん」歌手の加藤登紀子氏であった。世情は確かに新型コロナウイルスへの対処が主眼であろうが、もう少し視点や論点は広げられないのか。粕谷一希先生の事績を想い出して一抹の寂しさを感じた一日であった。
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