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2025-10-24 09:28

(連載1)令和からみた『新・戦争論』再考: 多極時代における日本の外交・安全保障の羅針盤

高畑 洋平 日本国際フォーラム上席研究員・常務理事/慶応義塾大学SFC研究所上席所員/グローバル・フォーラム世話人事務局長
はじめに:『新・戦争論』を継ぐもの
 2025年、日本は戦後政治史に新たな一頁を刻んだ。自民党総裁選において高市早苗氏が第29代総裁に選出され、第104代内閣総理大臣に就任したのである。憲政史上初の女性首相の誕生は、単なるジェンダー平等の象徴ではなく、日本政治と外交理念を刷新する歴史的転換点である。いま求められているのは、高市新政権がこの歴史的節目を機に、分断と対立が顕著化する国際社会の現実に正面から向き合い、対話と接続を重んじる令和日本外交の新たな方向性を切り拓くことである。日本外交の針路を定めるうえで、この「初の女性宰相」の登場は、政治的象徴を超えた文明的意義をも帯びている。
 言うまでもなく21世紀の国際秩序は、もはや「安定」や「平和」といった言葉で単純に語ることができない局面に入りつつある。大国間対立の再燃、非国家主体の台頭、気候変動や感染症のような地球規模課題、さらにはAI・サイバー空間を舞台とする情報戦の拡大――これらが同時並行的に進行する現代において、「戦争」と「平和」の境界はかつてなく曖昧化し、従来の安全保障論の枠組みでは捉えきれない現実が横たわっている。ウクライナ戦争は大国間戦争が「過去の遺物」ではなかったことを示し、ガザ衝突は非国家主体による暴力が国際秩序を根底から揺るがし得ることを示した。米国の孤立主義的傾向、中国やインドを含む新興大国、さらにはグローバルサウスと呼ばれる諸国の台頭は、単一の価値観で国際秩序を律することの困難を明らかにしている。
 とりわけ、グローバルサウス諸国の多くが参加するBRICSに焦点を当てれば、その構造的変化はより鮮明である。JETROの2024年推計によれば、BRICS加盟国の人口は合計35億人と世界の約45%を占め、経済規模は28兆ドルを超える。まさにグローバルサウスの中核的枠組みとして飛躍的に成長する一方で、加盟国間の政治的主張や価値観の差異、宗教・文化的多様性が各種の摩擦を生んでおり、統合的秩序の形成はいまだ不安定である。
 加えて、日本自身が直面する地政学的課題も複雑化している。東アジアの軍拡競争、台湾海峡や朝鮮半島の緊張、エネルギー供給の不確実性、さらには少子高齢化が安全保障の基盤を揺るがしている。こうした複雑なリスクとオポチュニティが混在する現実を前に、故・伊藤憲一の『新・戦争論』(2007年)を再考する意義はきわめて大きい。
 同書は冷戦後の混迷を背景に、「戦争は不可避の宿命ではなく、一定の社会的・技術的・政治的条件のもとで成立する現象である」という独自の視点を提示した先駆的業績であった。すなわち戦争とは、人類が「無関係な群れ」から「制度化された集団」へと進化する過程で生じた社会現象であり、条件が変化すればその姿も変わり、時に終焉すらし得る。伊藤は戦争を人類史的スケールで捉え直し、古代ギリシアのペロポネソス戦争、近代ヨーロッパの三十年戦争、二度の世界大戦に至るまで、社会現象としての意味変容を追跡した。その上で彼が提起した「積極的平和主義」とは、単なる軍備強化ではなく、戦争を成立させる条件を除去し、日本人が平和を「他人事」としてではなく「自ら構想し、行動する課題」として引き受ける構想転換を意味していた。
 この視座を日本外交に引き寄せれば、戦後日本は憲法第九条と日米安保体制の共存の中で「非軍事国家」としての枠組みを維持してきたが、湾岸戦争やPKO協力法、「人間の安全保障」の提唱などを通じて、受動的な戦後レジームから脱却し、国際秩序形成に主体的に関与する模索を続けてきた歴史を持つ。『新・戦争論』はその節目に登場し、日本外交に「構想力」を呼び覚ます契機となったのである。
 しかし、令和の今日、日本を取り巻く状況は一層厳しい。石破前政権の短命はその一例であり、日本政治に繰り返し顕在化する「統治の断続性」は、国際社会における信頼を損ないかねない。外交理念を制度化し、政権交代を超えて持続する戦略へと昇華できるかが問われている。まさに現代日本に問われている最重要課題の一つこそ、持続可能かつ接続性の高い外交戦略を実装する統治能力の維持・強化にほかならない。
 本論では、伊藤の洞察を継承しつつ、21世紀の「複合危機」の時代に即した新たな戦略的課題を探究する。日米同盟の強化、自由で開かれたインド太平洋(FOIP)の実現、グローバルサウスとの連携という外交三本柱に加え、ユーラシア地域との接続的関与(令和版ユーラシア外交)や「人間の安全保障」、さらには女性・平和・安全保障(WPS: Women, Peace and Security)の理念の具体化――これらは日本が「狭間の国家」として漂流するのか、それとも「架け橋国家」として秩序形成に参画するのかを分かつ分水嶺である。
 刊行から二十年近くを経た今日、『新・戦争論』の視座は部分的に限界を露呈しているのも事実である。AI・サイバー・宇宙といった新領域、さらにはグローバルサウスの戦略的自立性の高まりといった要素は、当時の想定を超えている。令和の国際秩序を論じるためには、伊藤の理論的骨格を継承しつつ、これら新しい条件を補強し、「続・新戦争論」ともいうべき新たな方向性を提示する必要がある。
 戦争と平和のあわいに立つこの時代に、我々は伊藤の洞察を回顧するだけでなく、それを更新し、超えていく責務を負っているのである。(つづく)
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