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2007-10-31 13:23

アメリカ型パブリック・ディプロマシーの陥穽

三上貴教  広島修道大学教授
 9.11以降、アメリカはパブリック・ディプロマシーに力を入れている。外国の市民にアメリカを良く知ってもらい、そのイメージを向上させることを狙いとしている。イラク戦争で損なわれたアメリカのソフトパワーをなんとしても回復したいとする気持ちが官民問わずに強いのであろう。南カリフォルニア大学のように、パブリック・ディプロマシーを専門に学ぶ大学院を創設したところもある。

 アメリカのこうした動向は日本にも影響を与えている。外交青書では2004年にはじめてパブリック・ディプロマシーの言葉が登場した。外務省もその重要性に注目しはじめた証左である。ただ、ここで是非強調しておきたいことは、日本はアメリカ型のパブリック・ディプロマシーをモデルとしてはいけない、ということである。

 アメリカ型のパブリック・ディプロマシーは容易にプロパガンダに陥り易い構造になっている。1948年に制定されたスミス・ムント法が、外国人向けの情報を国内に伝えることを禁じている(金子将史・北野充編著『パブリック・ディプロマシー』125頁)。これでは、国民は政府が外国に何を伝えているのか、公的には確認できない。もともと国民が自国政府の扇動に乗せられないための工夫だったのだろう。しかしその発想でいけば、外国の市民はだまされても構わない、ということになってしまう。

 本来パブリック・ディプロマシーは、政府と国民が一体となって、自国の姿、特に良いことを外国に伝えたいとする気持ちが原動力でなければならない。もし勝手に政府がありもしないことをプロパガンダよろしく外国に触れ回っていようものなら、良心ある国民はそれを黙って許容することはないだろう。実は政府は、効果的にパブリック・ディプロマシーを展開するためには、その外交政策を自国民に対してもしっかりと説明し、納得してもらわなければならない。外相がひとりで「マンガはクールだ」と叫んでも、国民の中にそれを支える文化が実在していなければ、結局虚像を発信しているに過ぎず、イメージは悪化するのみであろう。

 パブリック・ディプロマシーには、国内外への広報、情報の公開、国民と一体となって行う公共の側面が必要である。それはまた、一方的に情報を伝えるのではなく、双方向の対話を通して相互理解を深める外交政策ともなりうる。それが伴わないアメリカのパブリック・ディプロマシーは、容易にプロパガンダに堕しかねず、日本はそれをパブリック・ディプロマシーのモデルとすることがあってはならない。
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