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2026-07-22 15:04
リスクとしての象徴天皇体制
倉西 雅子
政治学者
第二次世界大戦の敗戦を機として、日本国は、明治憲法体制から現行の日本国憲法体制へと移行します。占領期に制定された憲法ですので、GHQ主導で作成されているのですが、同体制移行にあって人々の関心を集めたのが、憲法上の天皇の位置づけです。明治憲法下にあっては全ての統治権を総覧し、軍隊の統帥権をも有する統治者であった天皇が、現憲法では、その第一条において国家国民の統合の象徴とされたからです。
日本国の歴史を振り返りますと、天皇親政であった時期は数える程しかなく、歴史の大半は祭政二元体制で占められています。こうした権威と権力を分けてきた日本国の伝統からしますと、統治から統合へと役割を変えた象徴天皇への移行は、むしろ伝統回帰であったとも言えましょう(天皇は、御所の御簾のなかにあって、神祇以外何もしない存在であったように、‘象徴’として僅かな国事行為を機械的にこなす存在)。そして、統帥権干犯問題が軍部の独走と台頭を招いたという苦い経験もあり、日本国民の多くも、新しい時代の憲法として日本国憲法の制定を歓迎したのです。こうした位置づけをもって、政府もマスコミも、戦後の国民に親しまれる無害な存在としてイメージを広げつつ、憲法上の体制としては、権威主義的な側面も残していたとも言えます。
プーチン大統領が君臨するロシアや習近平国家主席が支配する中国等の一般的な権威主義体制は、統治における独裁を伴うため、その弊害は誰もが理解するところです。その一方で、日本国の場合、同憲法体制は立憲君主制から民主主義体制への移行として理解され、かつ、天皇には統治権力を伴わないため、国民の多くは、自国が権威主義体制の範疇にあることについては無自覚です。しかしながら、今般の皇室典範改正問題は、改めて現憲法体制の問題を浮き上がらせてしまった観があります。皇位継承争いは過去のものではなく、かつ、政治的な思惑が渦巻く極めて危険な地位であることが、国民の目にも見えるようになったからです。
権威主義体制とは、その頂点の地位を他者に奪われますと、国家そのものが失われたり、他者の手に移るリスクがあります。もちろん、体制崩壊を招き、別の体制に移行する転機となるケースもありましょう。そして、日本国のように、権威が統合の象徴とされ、しかも、世襲にして‘生きている人’として解釈される余地がある場合には、軍事力を用いなくとも、外部勢力によって日本国が乗っ取られる危険性は高くなります。婚姻や養子縁組次第では、国民に隠された密室において、事実上の間接侵略も成り立ってしまうのです。
そして、ここで原点に帰って考えるべきは、一人の個人に国家を象徴させる体制のナンセンスです。国家も国民も、権威者である一人の個人並びにその家族のパーソナリティーの影響を受け、運命をも左右されてしまう体制は、如何にも前近代的であり、反理性的であり、かつ、上述したようにリスクに満ちています。皇族に熱狂する人々の姿は、どこか新興宗教の信者の人々と重なりますし(実際に、皇室の藩屏として信者が動員されている可能性も・・・)、皇位継承法につては対立しつつも、天皇並びに皇族の維持については一致協力している政界にあって、旧統一教会や創価学会との強い癒着が見られるのも(グローバリストの下部組織・・・)、単なる偶然ではないのでしょう。
インターネットやSNSの普及により、真偽の入り交じった様々な情報が飛び交う今日にあっては、天皇や皇族の権威も風前の灯火であり、今般の皇室典範改正により、代や縁組みを重ねるごとに、「人治ネットワーク」の一環として君主制を志向するグローバリストのパワーも手伝って、姻族や旧宮家の影響力もさらに増してゆくことでしょう。マスメディアは、女性天皇や女系天皇に論点や国民の関心を誘導したいようですが、真に国民的な議論に付すべきは、天皇と国家との関係を見直し、将来に向けて同体制を維持すべきなのか、という、より根本的な問題なのではないかと思うのです。
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