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2008-08-26 09:38

「歴史」は終われど、「政治」は終わらず?

堀井利一  会社員
 かつて冷戦が終焉したころ、「歴史の終焉」論というものが話題となりました。日系のアメリカ人政治学者フランシス・フクヤマ氏が展開した議論ですが、かれは「歴史」をさまざまなイデオロギーの闘争過程であると捉え、その「歴史」が冷戦終焉を期に「リベラル・デモクラシー」の勝利をもって完結したという、明快かつ大胆な結論に導き、賛否両論を呼びました。その後約20年が経過した現在、「歴史」はやはり終わったといえるのでしょうか。そのフクヤマ氏が、8月24日付けワシントン・ポスト紙の「オピニオン」欄に「彼らはただ調子づいているだけだ(They Can Only Go So Far)」という興味深い論考を寄せています。

 この論考でいわれる「彼ら」とは、世界各地で悪さをする独裁者、あるいは独裁国家を指しています。「彼ら」がやっかいであることは事実ですが、とはいえかつての共産主義やナチズムのような対抗イデオロギーを持ちえない今日の独裁者や独裁国家は、「リベラル・デモクラシー」を機軸とした国際社会を前にして、もはや真の脅威とはなりえない、と氏は言います。「彼ら」は理念上、「リベラル・デモクラシー」が掲げる諸制度を否定することはできない。勢いづくロシアにせよ、中国にせよ、その興隆の背後には「グローバル資本主義」の恩恵にあずかった経済成長がある、などというのがフクヤマ氏のものの見方であります。

 では、フクヤマ氏が依然20年前の「歴史の終焉」論をひたすら唱え続けているかといえば、必ずしもそうではないようです。フクヤマ氏によれば、「歴史」が終わった世界は、より安全でもあり、より危険でもあると言います。すなわち「今日、いかなる大国とて、その利害はグローバル経済に否応なくつながれており、それゆえグローバル経済そのものを転覆させようとは考えない、という意味では安全である。しかしグローバル経済を味方につけた独裁国家が、かつての共産主義国家よりはるかにカネを持ち、それゆえ強力にもなりうる。ひとたびそのような国の経済的合理性が政治的野望を押さえ込むことができなければ、相互依存システム全体の中で、すべての人間が苦しむことになるだろう」と。

 さらにフクヤマ氏は、独裁国家にばかり気をとられ、グローバル経済が根本的に依存する石油や食料、水の供給が立ち行かなくなった場合、そこにはマルサス的なゼロ・サム世界が発生し、露骨な力と地理的偶然性がものをいうことになり、そうなれば、いかなる国家といえども「リベラル・デモクラシー」どころではなくなる、との警鐘を鳴らしています。その意味では、民主国家だからよく、独裁国家だから悪いといった、単純な善悪二元論から距離を置くある種の「現実主義」の勧めとも読めないこともありません。フクヤマ氏としては大いなる留保といえましょう。「歴史」は終わったかもしれませんが、現代世界はこれからも「政治」を必要としているようです。
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