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2008-10-21 22:46
(連載)抜本的な国際通貨制度の見直しを(1)
古屋 力
会社員
ガンジーは「地球は、人間の必要は満たすが、欲望は満たさない」と喝破している。「過ぎたるは、及ばざるがごとし」である。実が伴わない空虚なことは、いずれ限界がくる。その後には不幸が結果する。今般のサブプライムに端を発した国際金融危機は、この証左となった。本来は、実体経済が先にありきである。金融はその黒子に過ぎないのである。その黒子がでしゃばり過ぎた。のさばりすぎた。歯止めがきかなくなり暴走した。
資本が実際に工場等生産活動に投資され、そこから生み出された価値の応分の期待収益である内は、実態価値の増加分だけ利益が還元されるという意味では、金利等投資収益も、常識の範囲でも許容と理解が可能であろう。しかし一定の「最適必要量」以上の過剰な資本は、実態の伴う健全な投資に向かずに、「お金がお金を生む投資」、いわゆる投機的な不健全な投資、換言すると「マネーゲーム」に向かうことになる。この時点で資本は、「必要」のためではなく、「欲望」のために投資されるようになってゆく。
過剰流動性は過剰期待を生む。そして健全な経済活動に必要な投資資金以上の資本余剰が世界中に溢れでることにより、お金が亡霊のように世界を席捲して、不幸を撒き散らす。そして世界中のごくわずかな、数パーセントの勝者が過分な贅沢をし、世界中の太宗の貧者が、さらに不幸になってしまう危険性がある。ケインズの言う「アニマル・スピリット」を引用して、多少の投機は市場を活性化させるという擁護があることも否定しないが、要は程度問題である。
本来、そこには「人間の健全で幸福な生活を担保する経済活動をささえるために必要な投資」と「余分で暴走する危険のある不健全な投資」の2種類があり、これはしっかり区別して、管理されなければならない。人類の英知を結集して、こういった歯止めの利かない資本という猛獣を飼いならし、閉じこめるための「檻」が必要である。過去にはこの工夫が立派にあった。「檻」があった。昔の古代キリスト教や現在のイスラム教には余分な自己増殖を戒める「ルール」がある。イスラム教ではこれをリバーの禁止と呼ぶ。俗にイスラム金融では「金利」を否定していると言われる根拠がここにある。(つづく)
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