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2009-10-17 21:57
ノーベル平和賞は、もともと「政治的」な存在である
中牧 博
団体役員
さる10月9日、本年のノーベル平和賞がオバマ米大統領に授与されることが発表されました。平和賞をつかさどるノルウェー・ノーベル委員会はオバマ氏の「国際外交と諸国民の協力関係の強化のための比類なき努力」ならびに「核兵器なき世界の構想とその実現のための働きかけ」を授賞のおもな理由としています。北欧の小国が出すこのような賞の受賞者をめぐって、世論が色めき立ち、その是非を問うというのが毎年10月の恒例行事になっていますが、今年の平和賞では、その傾向がことさら強まったようです。オバマの受賞については、国際社会が諸手をあげて賛同しているというわけではなく、米国国内のみならず世界各地で、「時期尚早だ」「具体的な実績がない」などといった批判もでています。
それ以外に興味深い批判として、「オバマなどに与えたら、平和賞が『政治化』してしまう」というものがあります。過去1年間に平和の促進にもっとも貢献した人物や団体に与えられるというノーベル平和賞ですが、それに該当したのが「超大国アメリカ」の現職大統領だという事実自体に拒否反応を起こす向きもあるようです。ただ、そうした直情的な批判はほっておくとしても、ノーベル平和賞の「政治化」を批判する傾向は根強くあります。ただ、この批判は少々的外れではないでしょうか。
「過去1年間に平和の促進にもっとも貢献した人物や団体」を特定しようとすることには、かなりの選択が伴います。そして、そもそも「平和」の概念が価値中立であるはずがありません。多元的な国際政治の事象から特定の価値的方向性を紡ぎ出し、それに沿った貢献度を測るのです。平和賞の「政治化」を咎めても意味はないでしょう。ノーベル平和賞は本質的に「政治的」なのです。とはいえ、私はそのことをもってノーベル平和賞を咎めようとしているのではありません。北欧の小国が国際社会に対して価値発信をしようとしても、何ら問題はないのです。かりにノルウェー・ノーベル委員会がオバマ支持を打ち出すことが、中立・公平の精神にもとるというなら、あらゆる価値発信は不可能となってしまうでしょう。
ノーベル平和賞は、ときとして独裁国の民主化指導者に与えられますが、その国の政府は内政干渉であるとして同賞を批判するのが常です。価値的であることは、時として内政干渉をも辞さないものなのです。オバマ大統領が、観念的平和主義者が主張してきた「核廃絶」とは一線を画した、現実的な「核軍縮」を国際社会共通のアジェンダとして定着させたことは事実です。ノルウェー・ノーベル委員会はその動きを積極的に支持し、そしてその当然の結果としていくつかの勢力を敵に回しました。ただそれだけのことです。理想主義に裏打ちされはいるもののノーベル平和賞は、ノルウェーのソフト・パワーとしてきわめて現実的・戦略的に運営されているのです。日本人のノーベル賞好きは度が過ぎていますが、どうせならそのしたたかさも、同時にまなんで欲しいものです。
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ノーベル平和賞は、もともと「政治的」な存在である
中牧 博 2009-10-17 21:57
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猪野塚 雅代 2009-10-18 18:39
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