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2013-10-27 23:57

(連載)政教分離の「教」(1)

緒方 林太郎  前衆議院議員
 憲法の「政教分離」との関係で、私がここ数年非常に興味を持っていることがあります。それは「無宗教の葬儀」です。何故、そういうことに関心があるかというと、「通常の葬儀の取り進めから何と何を落としたら、『無宗教』というカテゴリーに入ると認識されるのだろうか。」という問題意識があるからです。なお、まだそういう葬儀に参列したことはありません。ここは各葬儀場関係者の方々も悩んでおられるようでして、色々なご尽力をしていることがよく分かりましたが、最大公約数的なところを抽出すると「少なくとも特定の『宗派』に依拠しないスタイルで葬儀を運営するようにしている。」ということだと理解しました。

 そこで言う「無宗教の葬儀」というのは、「手を合わせる」、「死者を弔う歌を歌う」という行為までをも排除するということではありません。しかし、私が思うに「死者を弔う」という行為そのものに宗教性があるのではないかと思うのです。特定の「宗派」に依拠しなくても、宗教は成立するのではないかと思うのです。これは最後は「宗教」というものの定義次第で答えが変わります。

 ということで、言葉の定義としてよく参照される広辞苑を見てみました。そこには「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、その連関的体系。(以下略)」と書いてあります。この定義ですと、かなり広範なものが宗教に含まれています。

 政教分離ということで、この定義に当てはまるものをすべて政治から完全分離してしまうと、変なことになります。千鳥ヶ淵で戦没者を弔うことすらアウトということになりかねません。「無宗教の国立追悼施設」も(その是非はともかくとして)成立し得ないということになるでしょう。「無宗教」と「追悼」という言葉が矛盾するということになりそうです。(つづく)

 
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